エコン族の備忘録

Politically Unmotivated

「心を整える」長谷部誠著を読む

「心を整える」は、長谷部誠選手が20代のときに書いた本である。そのときもかなり話題になった記憶があるが、あれから10年、改めて読んでみた。

 

この本の肝は、タイトルにあるように思う。長谷部選手は、自分のメンタルを強いとか、弱いとか全く触れていない。つまり、メンタルは鍛えるものではなく、テニスラケットのガットやギターの絃のように、「整える」ものととらえていることだ。心を整え続けた長谷部選手のサッカー選手としての評価は、言わずと知れたところである。

 

多くの人が仕事や家庭のストレスでメンタルをやられている。ちまたには、いかにしてメンタルを強くするかというノウハウが広まっている。でも、そもそもメンタルが筋肉のように鍛えられないとしたら、私たちはそれを調整し、時に何とかやりすごし、なんとか「整える」ことしかできないはずだ。

 

長谷部選手のような強いメンタルをっ持っている人が、「僕がしていることは整えるいることだけです」と言い切りところがこの本の最大の魅了である。スポーツをしている若い人はもちろん、多くの人に手にとってもらいたい。20代の長谷部選手の言葉、10年経ってさらにその意味が増していると思う。

エコン族のその後 

「Life among the Econ」が書かれたのは、1973年、今から約50年前となる。日本では、 佐和隆光氏が著書『経済学とは何だろうか』の中で、エコン族の生態」として紹介したとされている。

「Life among the Econ」は、当時の(特に)アメリカの経済学者のことをECON族と揶揄し、経済学の閉鎖性や独善性を批判したものである。経済学のさまざまな分野が、カーストの中の部族として描かれ、数学を多用する数理経済学カーストの高い部族、計量経済学や実証経済学は低いカーストの部族とされるなど、皮肉とユーモア?を交えて語られている。

さらに、エコン族は(数学を多用することから)、他の社会科学とは全く異なる言語を話すとされ、他の社会科学とは一線を引き、独善的で役に立たないものとされている。

 

私は、エコン族の生態」には2つの大きな誤解があると思っている。

一つ目は、経済学は1970年代にすでに社会科学の中でスター的に存在になりつつあり、今日では「社会科学の王様」になっている、といっても過言ではない。おそらくアメリカでは1970年代に経済学の台頭が著しく、その経済学に対する脅威や僻みから、上記の経済学批判は多くの共感を得たのではないだろうか。確かに経済学では、他の社会科学とは異なり数学を多く使い、上記の批判が全くの的外れだとは思わない。反省すべきところもたくさんあると思う。けれでも、1970年に揶揄された経済学の勢いは止まるところを知らず、すでにイギリスやアメリカでは、社会科学の王様になっているのは事実である。社会科学の王様となった経済学は、法学と協力して「法の経済学」を発展させ、心理学と協力して「行動経済学」を誕生させる。国際機関やグローバル企業では、経済学は必須と学問として位置づけられている。経済学の閉鎖性や独善性はかなり改善されていると思う。なぜか日本では、経済学は忌み嫌われ、「経済学=拝金主義」、「経済学=新自由主義といった誤った認識があるように思われる。

 

二つ目は、佐和隆光氏は、経済学を批判したかったのではなく、実証経済学や計量経済学が低く評価されていることを批判したかったのだと思う。「Life among the Econ」から約50年経った今、上記のカーストはすでに成立していない。かつてカーストの低かった実証研究やそれを支える計量経済学は極めて高い評価を得ている。ランダム化実験、傾向スコアマッチングなど、政策評価の科学的方法も確立してきた。さらに、マッチング理論やオークション理論など、現在の社会にとって重要な知見を多く提供してきた。つまり、全く役に立たないとされてきた経済学は社会のさまざななところで使われている。

 

私はアメリカで経済学を学んだエコン族の出身者である。日本に戻って18年ぐらいになるが、経済学的思考は社会の至るところで欠如している。イデオロギーや政治的にモチベートされている議論が多くとても残念である。社会が経済学を評価していないし、経済学を使って社会を良くしようとも思っていない。経済学は自由な学問である。人々に自由を与え、自由に発想させ、良い社会を導こうとする学問である。日本社会の閉塞感は、こうした何か新しい自由な考えやアイデアを受け入れようとする姿勢がないからだと思う。何も変えない!、何も変えようとしない!経済学は私たちの生活に役に立つ多くの知見を有している。少しずつでもいいから、エコン族の知恵を社会の中で生かしていきたいと思う。

 

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*1:英文です